Wise choice / 大人な判断

 時計の盤面に絵を描くワークショップをした時のことです。ありふれた壁掛け時計ですからひとまず丸い絵を作ってもらうことになります。あらかじめ円形にカットした光沢紙を2枚、子供達に渡し、絵の具やクレヨン、マジックの他に、コラージュ用のセロファンや、色紙などもふんだんに用意しました。それから"サラダスピナー"も。サラダスピナーとは野菜の水切りカゴのことで、ハンドルを回すと勢いよく回転する台所の便利グッズ。この遠心力を利用すると、いともかんたんに抽象画が出来るのです。「スピンアート」とも呼ばれ、かのダミアン・ハーストも巨大なマシーンを用いて円形絵画を手掛けています。

 やり方は、至って簡単。丸い紙をサラダスピナーにセットし、ゆるく溶いた絵の具を垂らして回転させるだけ。絵の具の量や、回転速度、色合わせで思いもよらぬ絵柄があっという間に現れる、実験に近い方法です。 紙を2枚用意したのは、偶然性に頼るスピンアート VS、頭と手をしっかり起動した作画、相対するふたつに取り組んでもらいたかったから。 盛り上がるのはやはりスピンアートです。だけど、時間はたっぷりありましたから、子ども達は作画の方もしっかり取り組んでくれました。中でも、せっせと手を動かして作画やコラージュに精を出していた6歳のM君は、大好きな車を次から次へと描き、紙が足らなくなったからと追加を渡すと、それも使い切り...というほどの集中力を発揮。本人も納得の出来栄えで、ご満悦です。 時間になると、床には様々な技法を駆使した全員の円形絵画がずらりと並んでいました。が、時計の針は一組しかありませんから、どの子も盤面にするひとつを選ばねばなりません。M君は、結局、量産した作画をあっさり却下してスピンアートの方を選びました。4色が鮮烈に混ざり合うシンプルで力強い仕上がりのものです。その判断の速さは、私もたじろぐ程でした。ようは、時計の盤面にするという目的に適した大人なチョイスを、彼はしたのです。「もったいない」という感情抜きに。

 どんなに簡単なデッサンでも、ひとつのイメージを完成させるには、無数の取捨選択をしているわけで、それは頭のスポーツです。より新鮮に感じる方へと、判断を進めるのも子どもの特徴で、この瞬発力が経験の少なさから来るのだとしても、見ているだけで清々しく、また頼もしく思います。


Method / 方法

「絵を描くのが苦手」「だから描かない」。ある年配の男性と話していたら、きっぱりとそう仰った。話しを続けてみたところ、言葉選びがユニークで、発想もとても独創的な方でした。きっと絵を描いても楽しいものができそうです。それでも絵が苦手と宣言して拒絶してしまうのは、本物そっくりに描こうとしているからかもしれません。写実だけが絵ではありませんし、専門教育を受けないからこその強みを発揮するのに、アートはうってつけの方法だと思うのですが。

 一方、子供は恥ずかることなく思い思いに、ひらめきを作品にぶつけます。
 でも中には、上手に、丁寧に描かなくては…と考えこんでしまう子もいます。絵を描くことに少なからず恐怖に感じているのかもしれません。白いまっさらの紙を前にしたら、確かに誰でも緊張します。そんな場合、少しひねりのある描き方を勧めます。例えば、版画や切り絵。完成の予想がつきにくく、上手い/下手では測れない味のある仕上がりになります。実験感覚で少しずつ手を動かしてゆけますし、少しぐらいの失敗もやり直してカバー出来ます。
 成人学校で銅版画の指導していたことがありました。皆さん立派な社会人です。そこでは、個性を出して表現活動を行うというよりかは、銅の腐食や版の転写など、技術や偶然性を楽しんでいる方が多くいらした。でも、画材に慣れ親しんでくると、おのずから模倣を卒業し、オリジナルの作品に移行してゆくのでした。自分に合った方法論を見つける過程は大切です。そして個性を発揮するタイミングは、人それぞれなのだと思いました。


Favorites / 好きなもの

 小さな子の場合、画材だけ決めて「何でもいいから好きなものを描いて(作って)」と言います。すると男の子はとりわけ、乗り物や恐竜など、同じモチーフを繰り返し繰り返し描きます。よく飽きないなぁと感心するほどにとことんやります。逆にいえば、好きなものでないと、やる気が出るまでたいそう時間がかかります。
 様々なアプローチで好きなものに迫ってゆく子供の目の輝きは素晴らしく、苦労してセッティングした甲斐があったなと嬉しくなります。
 好きなもの、興味を引かれたものから画用紙の中央に大きく配置されるのが子供の絵の特徴で、人物よりカブトムシの方が何倍も大きく太く描かれていたりすると、彼らの頭の中を覗かせてもらった思いがします。
 大人のクラスの場合は、風景、花、手、などテーマやモチーフをきっちり決めてしまう方がスムーズに行くことが多いようです。制作の最中はあまり声がけはせずに、完成してから講評会で感想を交換します。
 ところで大人のクラスでトライしてみたいことがあります。抽象画です。大人は好きなものを具体的に表現することにためらいがですが、「やわらかい」「強い」「速い」「優しい」「あたたかい」など形のない情動をテーマにしたら、案外、自然に好きなものや、本人らしさが浮かび上がってくるのでは、と期待しています。


Wire man / 棒人間の行方

 あるお母さんが「小学2年生の息子が棒人間しか描かない」と心配そうに言うので見せてもらったところ、ノートに4コマ漫画がびっしり並んでいました。人間の顔も体も腕もぜんぶ棒線の組み合わせで、たしかに「棒人間」です。でも吹き出しのセリフは面白いし、起承転結もしっかりしています。彼の頭の中ではストーリーが絶え間なく湧き上がって、細かく描写する時間も惜しいのでしょうか。それとも極端なデフォルメの面白さに取り憑かれてしまったのでしょうか。ともあれ母親は息子に、個人指導の絵の先生をつけたのでした。男の子は様々な素材に触れ、彼独特のオリジナリティは少しずつ肉付けされていきました。
 絵は、芸術作品として1枚で完結している方がまれです。なにかの説明だったり、イメージを広げるための落書きだったり。用が済んだらグチャっと丸められてゴミ箱に投げ込まれることの方が圧倒的に多いでしょう。でもそれでかまわないのだと思います。絵を描いている瞬間そのものが喜びで、癒やしで、また思考の呼び水であるならば。
 先ほどの棒人間の男の子の話に戻ります。今、彼は動画サイトでアニメーションを発表しています。豊かな描写で、人物は表情豊かで、四肢には影もあります。もう痩せっぽちの棒人間ではありません。作・演出・作画、すべて彼のオリジナルです。


in NATURE / 山で作る

早起きして山を散歩、枯れ葉の上に寝転び、渓流の水しぶきとたわむれる。しっかり身体を動かして五感が目覚めてからアートの時間をひょいと差し込むと、素晴らしい効果が見られます。ふだんじっとしているのが苦手な子でも、目を見張る集中力で筆を動かし始めるのです

 絵画は、机の上で静かに取り組むものだと思っていませんか?そうでもありません。ネアンデルでは、運動神経と密接に関係すると考え、デッサンクラスを始める前に皆で体操をすることがあります。制作中に、ウロウロ歩き周ることも推奨しています。周りの迷惑にならない程度ならおしゃべりもOK。身体と頭を柔らかくしてから机に向かえれば、それが理想です。
 毎夏、講師をつとめる長野県の少年キャンプは、好きなだけ走り回ることが出来る広々とした自然環境に恵まれています。珍しい昆虫や植物も手の届くところに。こういった場所での創作時間は、子供達にとってもやっぱり特別です。インスピレーションを刺激され、「作りたい!」意欲に満ちた顔が並びます。


Thinking while drawing / 描きながら考える

 美術教育の現場では「描くことで考える」といわれます。絵日記をが宿題に出れば、子供は文章でなく絵から描き始めます。
 公園で、展示された古くて立派なSLを見たとしたら、興奮が冷めないうちにSLの絵を描くでしょう。描かれた運転席には自分が乗りこんで操縦しているかもしれません。のみならず、画用紙上のSLは、もうもうと煤煙をあげて走り出しています...。また多くの場合、その場にいなかった家族も乗客として描き加えられます。記憶の糸を手繰り寄せ、いつか見た動物や鳥も散りばめられることも少なくありません。
 夢、希望、記憶ももろとも1枚の画用紙へ詰め込まれる時、それは絵を通した子供のおしゃべりなのではないでしょうか。子供が見えるところ、手の届くところへ画材と紙を用意してみてください。放おっておいても豊かなおしゃべりの痕跡が生まれるかもしれませんよ。
 絵や音楽はもうひとつの言葉だと考えます。“言葉にできないことを絵や音にする”と言うアーティストは沢山いますが、それもまだ獲得し得ない言葉を求めてのことではないでしょうか。


Self portrait / 自画像

 まだハイハイの赤ちゃんでも遊び場へ連れて行けば、女の子はおままごとコーナーに向かうし、男の子はミニカーの箱へとまっしぐら。そうと教えなくても、子供は自分がどこに所属し、何者であるのかすでに多くのことを知っています。
 それは他者にも同様で、赤ちゃんにステレオタイプの「家族のイラスト」を見せてみると、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんの違いを見分け、間違えることなく指差します。また、一度、優しくされた相手の顔は忘れずに、再び会えば声を立てて大喜び。言葉を発する以前から、赤ん坊が認識できることの多さには毎度驚かされます。ですから、かなり早い段階で、人は「自分」を発見しているのだなと感じます。
  自画像と呼べるかどうかわかりませんが、3歳くらいになると、クレヨンで顔らしきものを描けるようになります。円や線など図形の組み合わせで、鼻、目、口が表現され、一応顔なのだと分かります。顔の下から足がニョッキリ生えていることもあります。しかし顔の上から足が生えることはありません。
 4〜5歳になると、へのへのもへじに髪が生えます。「耳を描き忘れているね?」と声をかければ「そうだった!」と耳の穴まで描き込みます。そういった過程を経て、自画像らしい自画像になるのは、7歳あたりでしょうか。自分の顔の特徴を捉えて、状況が説明できる背景までも加えられ、子供の絵は黄金時代を迎えます。


Form&color is exactly emptiness? / 色即是空?

 スイスのコスメティックブランドが新製品を発表するということで、発表パーティに合わせたワークショップの依頼がありました。色素をすべて天然成分からとったリップクリームだそうです。打ち合わせの最中、ブランドの創始者のひとりがルドルフ・シュタイナーだと知り、それならば色にまつわるワークショップにしょうと話しがまとまりました。美術教育に力を注いだシュタイナーの思想体系はあまりに広大ですから、だいぶシンプルにアレンジして、たった3本の水彩絵の具で「色円環」を作り、色を体験する方法論だけお借りすることにしました。
 当日、パーティの参加者は女性記者、編集者が多く、一様に「筆を持つのは高校生ぶりかしら?」とはしゃいでいます。私は色彩学の基本と水彩画のコツをざっと説明しました。いざ始まってみると、絵の具の滲みやぼかし、混色の妙に集中して、参加者はすっかり無言になりました。色を扱っている楽しさに熱中しているのが分かります。朝から晩まで大勢の方が、思い思いに時間をかけて仕上げてくれました。「すっきした!」と言って帰った人もいました。

 色は実態がなく、光の屈折が人の脳にそう伝達するだけだと説いたのはニュートンです。葉の緑も、炎の赤も実は色なんてついていなのだと。それを真っ向から否定したのはゲーテやシュタイナーでした。葉は緑だし、炎は赤という実態を持っていると主張しました。昔のお坊さんもまた色にまつわる言葉を残しています。「色即是空 空即是色」。形や色には実体がない。しかし実体がないからこそ形や色がある。
 色に実態があるのか、ないのか、なんて普段考えもしませんが、さあ、誰の言うことが真実なのでしょう。
 この水彩の色円環のワークショップは、様々なことに応用できるため、ネアンデルの定番となりました。

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